未来は瞳(め)の中に〜櫻井翔 Hip Pop Boogie chapterⅡを聴いて〜

2008年、嵐8枚目のアルバムDream"A"live発売。収録曲「Hip Pop Boogie」は、櫻井翔くんのソロ曲だ。

 

2015年、ARASHI BLAST in Miyagiにて披露されたのは、この曲の詞が少しずつ変えられた「chapter Ⅱ」だった。

さすがchapter仕立て大好き翔さん。その詞の内容は、変化ではなく紛れもなく進化だった。

私はこの歌詞に、今の櫻井翔とこれからの櫻井翔のすべてを見た気がした。同時に、自担である菊池風磨くんに、いつかはこの人を超えるような世界中の誰もが認める最強のアイドルになって欲しい、という想いに駆られ、感じたままに書いてみることにした。

 

 

私、昔から謙虚な人が好きなんです。爪を隠す鷹とでも言うのかな。

だから正直、デビュー当時翔さんが一番苦手だったのは「自信過剰な人」だと思ったのが理由。

慶應生がアイドルになっただけ」って言葉は、幼稚舎から慶應の翔さんにしたら当たり前のことなんだけど、当時の私もまだ子どもだったし、何を偉そうに、くらいに思ってたんだよね。それが櫻井翔のプライドであるとは気づかずに。

 

その時の印象は変わったわけではなくて、むしろ過剰なほどの自信と誇りが櫻井翔アイデンティティであり、櫻井翔こそ、その誇りを持ち続けるべき男だと感じるようになったというか。

元相葉担が語るのもどうかと思うけど、言わせてくれ。この人の人間性を表しているのが、まさにHip Pop Boogieなんだ!

 

 

翔さんって本当に変わらないな、と感じたのが、08年に初めてこの曲を聴いたときの印象。でも、噛み締めれば噛み締めるほどに彼の偉大さに気づかされる珠玉の一曲。

 

終始、自信たっぷりの詞が続く。

World is mine 時代 is mine 未来 is mineとか言っちゃう。

ちなみにこの時翔さん、まだ26歳。26にしてこの世のだいたい手に入れてる。

 

「人の上 下に人作らぬなら 俺がその天の頂いただく」

…諭吉の言葉になぞらえてこんな言葉を歌詞に込められる人も、それを歌っていいのも櫻井しかいない。すげえ。強そう。絶対敵に回したくない。

 

それでいて自分のことを「放蕩息子」だとか「温室の雑草」だとか表現するんですよ。

あくまでも温室育ち。デビューさせてもらって、それなりのいい環境でぬくぬく育ってきた。でも決して温室の薔薇や蘭じゃないの。

可愛がられて栄養いっぱい与えられて育ってきた薔薇や蘭はたぶん他にいて(事務所内の他G)、その下で這い上がってきたのが嵐なわけね。

「道がないなら創ればいい その先たとえ果ててたとしても」と、まさしく雑草魂で開拓してきたんです。

 

そして、それを可能にするためには「嵐」である必要がある。

「今まで これからもこのメンツです」と、スクリーンに他メンバー4人の映像を映し出して紹介する演出は本当に感慨深い。

翔さんが一人のアイドルとして、嵐というグループの一員として未来を切り拓き続けるという意志のあらわれだと思いながら見ていたことを思い出します。

 

 

その頃、嵐はちょうど人気が爆発した頃だった。

 

翔さんにとって、そこに辿り着くまでの道は平坦ではなく、それを乗り越えた上で手にしてきたものの大きさもしっかりと実感している、そんな時期だったんじゃないのかな。

これからもこの景色を見続けるために、ひたすらマイペースに積み重ねていこう、「今まず何ができるか」を模索し続けよう。そんな、自分自身に言い聞かせているかのようなニュアンスを、この曲から感じていた。

 

 

今回宮城でchapter Ⅱを初めて聴き、思わず涙が溢れた部分を取り上げようと思う。

 

元々の歌詞はこれ。

 

 

「道なき道を歩いてく

迎合せずただマイペース

今言える 今ならば言える

蒔いてた種たち咲いてく」

 

 

今まで歩いてきた道は、険しく道なき道だった。これからもきっとそうだろう。俺たちは誰にどう思われようと、マイペースに歩き続ける。ほら、夢が形になりはじめているだろ?

(蒔いてきた種が花を咲かせるようになっただろ?)

 

そう理解していた部分。

7年を経て、嵐はこんなふうに進化する。

 

 

「君たちとなら歩いてく

栄光へとまだマイペース

磨いてる いまだ磨いてる

咲いてる花たち抱いてる」

 

 

本人が込めた意味合いとは違ってるかもしれないけれど、ここの「君たち」は、他のメンバーのことであり、ファンでいてくれる人たちのことでもあるのかな、と感じた。

この後、「こんな景色はみんなのおかげ ここまで連れてきてくれるなんて」っていう歌詞が出てくるんだけど、これもやっぱりメンバーとファン両方を指してるように捉えられるんだよね。

 

こういうところから、今回のchapter Ⅱは、随所に周りの人たちへの感謝が散りばめられていて、翔さんのソロって、俺は負けねえぜ!やってやるぜ!って具合に強気で突っ走る系の詞が多かった中で、ものすごく温かみを感じる部分。

 

「咲いてる花たち抱いてる」も然り。

あの頃は、やっと花を咲かせ出した状況をうたってたけど、今はその咲いた花たち(=手に入れた数々の夢)を一つ一つ大切に守りながら、尚且つ「いまだ磨いてる」ってわけです。

 

なんだろう、この愛と慈しみに満ちた感じ。完璧に悟りを開いた如来か何かか?

 

 

さらに、元の歌詞がこの部分。

 

 

「somebody everybody

今 時代が手の中に」

 

 

時代を手にしてる時点でカッコいいのに、chapter Ⅱではこうなっちゃう。

 

 

「あんなに夢描き

今 未来は瞳(め)の中に」

 

 

これだけ凄いところまで辿り着いて、更に未来が見えてるんですよね、この人には。

この先どうなるのかな、なんて思いもあっていいところでしょ?そういう不安なんて微塵も感じられない、これだけの強烈な先の展望。

そろそろ若くもないし…なんて、誰かに譲ることも決してない。

 

「後追いども皆まず至らず」

「本業の方おいて次向かう」

 

カッコよすぎて涙が………あぁっ

 

これでこそ、かつてのアイドルの概念を自ら打ち破って、今の若いJrたちが目指したくなる、全てを可能にする職業=アイドル を打ち立てた男・櫻井翔だ!!!

と、彼の変わらない部分と更なる進化を遂げた部分とがぎゅーーっと詰め込まれたこの歌詞に心を奪われ、ノリノリのアリーナでひとり放心状態だった私なのでした。

 

 

 

私は嵐を通ってきた風磨担なので、どうしても、櫻井というと風磨!と繋げたくなってしまう性分です。

今回、翔さんのソロを聴いてその詞そのものに感動しながらも、まだ見ぬ自担の未来と重ねて涙が溢れたのもあるかもしれない。

 

「手が届かない憧れの先輩櫻井くん」時代から、しょっちゅうご飯に連れていってもらっては可愛がっていただけるようにまでなった現在までの過程を見てきてるのもあって、ここまで来たならもう、あとは追い抜くのみだと思ってるんだ。

そんな簡単に追い抜けるわけがないからこそ、いつか彼が翔さんと同じ高みに辿り着いて、互いが互いをライバル視しながら磨き合えるような未来を見てみたいと願ってやまない。

 

 

この夏、努力と才能が一気に爆発した風磨くんを私は知ってる。初のソロコンも、初のドリボも、数え切れないほど多くの人々の心に幸せな爪痕を残した。

 

きっと出来ると思う。たとえ笑われても、風磨くんなら「迎合せずただマイペース」に夢を掴みに行ける人だと思う。

もし、この先風磨くんが、見たことのない景色を目の前にすることが出来て、自分の歩んで来た道を懐かしく誇らしく振り返るような未来がきたときには、Hip Pop Boogieが翔さんを表している曲であるように、彼の人生の代名詞となるような曲を思いっきり歌い上げて欲しい。

 

今、私の瞳(め)の中には、そんな未来がしっかりと見えている。