進化と深化、そして神化する世界観〜「風 is I?」を終えて。〜

風 is I?5日間9公演が終了した。

最高にアツくてちょっと切ない、風磨くんが作り出すいつもの夏が、今年もまた終わった。


気づいたら時をかけすぎてしまって(?)去年の『風 are you?』は感想を書きそびれているので、今のうちに書き残しておこうと思う。

(今度こそ本当に最後のソロライブかもしれないし…)

細かいことをあげていくと、「かわいい」と「好き」と「エモい」の羅列になるだけなので、そっちは全部ツイッターに吐き捨てるとして、ここでは内容一本に絞って書いていくことにする。

…ものすごく主観で勝手な解釈ばかりなので、ああ、こんな感じ方の人もいるんだな、くらいで軽く読み飛ばしていただきたい。

 

 


「10年前、僕は死んだ」で始まるストーリーに、今までにない強烈な印象を受けた。

こんなに、生けるものの象徴みたいなバイタリティあふれる人を、死のイメージと結び付けたくなかったから。(単純に風磨くんが死んじゃうなんて寂しかったというのが正直なところでもある。。)


最終的に彼が伝えたいことは、

「今この一瞬は二度と帰ってこない。だから全力で今を生きろ。」

という、まぶしいほどに人生を楽しんでいる彼らしいメッセージなんだけど、「後悔」で始まり、その後悔を払拭すべく1日だけ生き返って、やりたいことをやり遂げに行く、という物語の内容は、自分の人生を「後悔ってしたことなくて。」と言う風磨くんにしてみれば、完全なフィクションになる。

(風磨くんって、人生最期のときに「最高の人生だった!」って言って笑顔で死んでいきそうな人だものね。)

 

毎回どこか必ず、菊池風磨自身と物語の中のフウマを重ね合わせて私たちにメッセージを届けてくれていた風磨くんが、今回設定したこの物語の裏側に込めたもう一つの思いがあるとするなら、それは何なのか知りたい。

そんなことを思いながら会場に足を運び続けた。

 


今回新しいと感じたのは、前2作は風磨くんが語り手として展開していたストーリーが、

風磨くん側とSixTONES(物語の中での、子ども時代の仲間たち)側、両側面の語りを通して進行していくこと。

 

一方通行でなく、互いの思いが行き交うことで、「奥行き」が生まれ、立体的になる。

風磨くんのライブに必要不可欠な要素「絆」に、より注目が行く。

ソロコンだけどソロコンじゃない、“仲間ありき”の風磨くんのライブの良さが際立つ気がした。上手く言えないけど、深みが増した、と言うのかな。まさに進化と深化の3年目だなと。

SixTONES側の代表として語るのはジェシー。序盤で「信じられない。風磨が戻ってきた。」とか言うし、普通にFumaから電話かかってくるし、本当に風磨くん1日だけ蘇ったんだ!って感じがするんだけど、最後までストーリーを追っていくと、現世に戻って6人と一緒の時間を過ごしてたのは風磨くんの魂で、本当は実体のないものだったんだよね。

ジェシーは「風磨の声が聞こえたような“気がした”」、「俺たちと一緒にいたのかな。…なんてね。そんなわけないか。」と言っている。)

 

だけど、風磨くんの“魂”は、ぎこちなくなっていた6人を、また一つにしてくれた。

まるでそれが彼の責務であったかのように、そんな6人を見届けてから風磨くんは語るんだ。「一つだけ願いが叶うなら、あいつらから今日の記憶(自分の魂と過ごした記憶)を消してほしい。」と。

 

とっても寂しい。

記憶まで消さなくてもいいじゃない!1日だけ帰ってきた風磨と、あの頃みたいにただただ楽しい時間を過ごした、でいいじゃない!

なんて、7人で撮ったのに風磨くん一人だけ映らない集合写真を見て泣きそうになりながら思った。だけど、あのSixTONESだけが映った写真で、ハッと気づかされたことがあって。

 


最終公演、風磨くんは今回出演してくれたSixTONESメンバーへの思いを語ったあと、続けてこんなことを言っていた。


Jr時代、苦楽を共にした仲間たちは、彼が自身の人生を語る上で必要不可欠な存在で、そうした人との繋がりのすべてが自分を形づくっていることを、風磨くんは何よりも大切に思ってる。

SexyZoneになってしばらくの間、「SexyZoneの菊池風磨を認められなかった彼に、「後悔」はなくても「葛藤」があったのは誰もが知ってること。でもその葛藤を乗り越えて今、彼はSexyZoneの菊池風磨であることに誇りを持てるようになったし、そこで出来た新たな仲間たちと、次のステージに向かって進んでいきたいという、強い意志がある。


その新しい居場所からちょっとだけ過去を振り返ってみたとき、“あの頃”を過ごしたかつての仲間たちが、相変わらずの笑顔でそこにいて、彼らは彼らで新しい夢に向かって進んでいる。

お互い頑張ろうな!負けねーから!

そんな風に互いを刺激し合いながら、それぞれの夢に向かって猛進できる関係。

 

SixTONESが風磨くんの大切な仲間でよかった。ソロコンに出てくれたこと。風磨くんのために最高のライブにしてくれたこと。本当に6人には感謝しかない。



きっと風磨くんの魂は、「風 is I?」の一人として、一日だけ“あの頃”(=原点)に戻っていったんだ。仲間たちと一緒にやりたいこと、やってみたかったことを全部やり切った後は、少しの後悔も残さず、今ある大切な居場所(=SexyZone)にまた帰っていくんだ。

俺はSexyZoneで頑張る。お前らはSixTONESで頑張れよ。

そんな声が聞こえてくるようだ。

 

都合のいい解釈すぎると自分でも思うけど、こうやって考えると、はじめに言った①=「物語の裏側に込めたもう一つの思い」が、何だか分かった気がした。

風磨くんのライブはフィクションであって、今年もやっぱりノンフィクションだったんだと思う。



ああしておけばよかった、こうしておけばよかった。誰にでも必ずあるけれど、振り返ったときに、笑えていればいい。

風磨くんはそう言う。


人生ってそんなもんだなと私も思う。後悔しないように生きてるつもりでも、たぶん、一度も後悔のない人生なんてない。

悔しがって、地団駄踏んで、アホやらかしたなって経験の一つや二つ、なかったら人間としてつまらないじゃない?そういうものを糧にしたり、次へのバネにしたりして、前よりも一つ成長できればいい。そうして振り返って、あんなこともあったなーって大声で笑い飛ばせることこそが、本当の意味での後悔のない人生なんじゃないかと思うし、深みのある人間になれるんじゃないかと思う。

 

ありふれた日常に嫌気がさしたり、思い描いていた未来に立てていない現状に落胆したり、そんな今の私には風磨くんの生き方がすごく羨ましくて、ため息が出るほどまぶしい。

だから、私も負けずに全力で生きて、風磨くんに羨ましがられるほど誇れる人生を送りたい。

 

目を背けたくなるはずの現実が、ちょっとだけ楽しみになるような言葉と時間と空間をくれる風磨くんのライブが、やっぱり大好きだ。

 


最後に。

風 is I?
真意がはっきり示されていない、この不思議なタイトルについて考えてみたことをあげて、終わりにしようと思う。

(※このブログよりも先に書いていたことなので、繰り返しの表現が多々あるけれど気にしないでください)

 

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友を信じる優しい声が 遠く遠く君の元へ届きますよう。

風磨くんの魂の声が、いつまでもみんなを包み込んでいますよう。

あの日見た夢の先に。〜STAGEツアーを終えて。

 

この気持ちをきちんとした形で記録しておきたい!

 

というのは、素晴らしい出来事を体感した時いつも思うことだが、如何せん文才が感動に追いつかず無常に時間が流れてしまう事例が、ここ最近多発している。

 

全部SexyZoneと菊池風磨くんのせいだ!(結局、風ru感想も祝5周年激重日記も書けずに終わった…)なんて、嬉しい悲鳴をあげている場合ではない。
なぜって私は、この2017春、いずれ伝説となろうコンサートにて、永遠の愛を誓ってしまったのだから…!

 

書かねば!!

 

という義務感と焦燥感と、オーラスを終えて約2週間経過した今なお感動と興奮が冷めやらない絶大なる充足感のもと、おそらくゴールが見えない感想文に着手した次第である。
やばい。前置きだけで既に読む気を無くさせるとりとめのなさ。

 


SexyZone presents Sexy Tour 2017 〜STAGE

 

SexyZoneがデビュー5周年を記念して、5人で5都市を回るツアー。


「5周年の記念すべき5都市ツアーを5人で。」

これはラストのメンバー挨拶で佐藤勝利くんが毎回必ず強調して述べたフレーズである。

 

SexyZoneにとっての5年がどれだけ険しい道だったか。SexyZoneにとって「5人であること」に、どれだけ大きな意味があるか。

 

デビュー時より、病める日も健やかなる日も応援してきて、当然そのことをよく知っているつもりだった。
でもそれはきっと、ファンの想像や同情を含む、ファンなりの解釈とフィルターを通して見てきた5年なのだろうと私は思う。

 

 

私はこのツアーで、「SexyZone自身が歩んできた5年」を、彼らの目線から見せてもらった気がしている。

 

 

5年前から既に大人だった私などは、息子を見守るような気持ちで見てきたから、それはもうたくさん心配したし、彼らのことがわからなくなることも多々あった。
だけど知らないうちに、かわいい息子たちは思ってたよりずっとずっと大きくなっていたし、気づけば私が見ていたはずのSexyZoneより、もっと美しく輝いてた。やばい。子育てしたこともないのに母親の気持ち味わえるなんて、大人ジャニオタ最高かよ。


その、私たちが「知らないうちに」5人が本当の意味でSexyZoneになっていった過程を、ステージを通して教えてもらえたようなコンサートだったように思う。

ちょっと何言ってるかわかんないと思うが、まあニュアンスで感じ取ってくれ!

 

 


今回、風磨くんがメインで演出を担当すると聞いたときは、本当にもう期待しかありませんでした。
あとになって、あまり期待してなかった人や良く思ってなかった人が結構いたことを知ってびっくらこきました。風磨くんに対するオタクの目ってやっぱりそういう感じなんですね。。
と、悲しい気持ちになったのは一旦置いておくとして。

 

なんでそんなに期待度抜群だったかって、理由はもちろん、2度のソロコンに参加して、贔屓目抜きに、菊池風磨とは持って生まれた才能とジャニーズで磨いたセンスとを彼自身の努力でもってカタチにすることのできる男だと知っていたから。
そして何より、ソロコンを通じて学んだことを必ずグループに還元すると、あのとき何度も何度も言っていた風磨くんが、グループのアニバーサリーツアーにかける魂を全身全霊で受け止めたくて。

 


ただのお餅じゃなくてステージの神様に愛されたお餅、その名も菊池風磨好きにならないはずがない。

 


そんなこんなで、始まってしまえばあっという間に終わってしまうのが幸せな時間。
最初は、ある程度制御しながら入る宣言をしてたはずなのに、どういうわけか18公演中17公演入ってた。自分でもびっくりした。ここまでくると、福岡のrouge(発情期MAXバージョン)をこの目におさめられなかったことだけが悔しい。誰か目に録画機能ついてる人いないの?

 

回を重ねるうちに徐々に感じ方が変わっていった部分だったり、最後の最後まで新たな発見の連続だったりがあり、総評(なんて言い方するのはおこがましいけれど)として書こうと思って今に至る。
とか言いながら、この溢れる想いをどう言葉にしたらいいか、書きながらも悩みすぎて思わず歌い出しそう… この気持ちはなん〜だろぉ〜〜♪谷川俊太郎 詩「春に」より)

 

 


だからこそ、あえてひと言でSTAGEツアーを表すならば、


SexyZoneとファンが本当の意味でひとつになれたコンサート

だったと思う。

 

 


よくコンサート後のWSなんかで、SexyZoneの魅力は?みたいなインタビューに対して「ファンと近い」というのを一番に取り上げられることがあって、私はそれを聞くたび、

違うんだ!そうじゃないんだ!

と、声をあげたくてたまらなかった。
本当に近くあるべきなのは、物理的な距離じゃなくて心の距離なんだ!心は繋がっ⤴︎てるんだ!(※風磨くんの「ここさけ」いじりネタ)

 

若いグループですからね。どうしたって今まではファンサありきのコンサートでした。近くて喜ぶファンがいて当然。
でも、SexyZoneの本当の魅力はそこじゃないよ。もっと彼らにしか出せない味がたくさんあるよ。早くそれを見せて?一歩踏み出して!
なんて思ってるうちに、Sexy黒魔術で3人と2人に分解されちゃって、ますます心の距離は遠のいてしまった。


SexyZoneとファンの間の溝。ファンとファンの間の溝。彼ら自身の心の溝。あの頃の私たち、みーんなバラバラだったね…

 

今回、完全に「魅せるコンサート」に徹したのはきっと勇気のいることで、挑戦だったと思う。
外周どころかセンステもなくて、ほとんどの曲をメンステで行うなんて、よっぽど凄い仕掛けと練りこまれた演出がなければ難しい。集客の頼りだった有名Jrも今回はいない。
SexyZoneによるSexyZoneファンに向けられたコンサートという、普通に考えれば当たり前のはずなんだけど、これまでの彼らからしたら当たり前ではない場で、勝負に出たな、という感じだった。

 

そしてSexyZoneは、見事に勝利した!!!

 

 

シビアなこと言うけど、今まであの子たちのコンサートで今回ほどの一体感を味わったことってなかったよ。たぶん、ソロコンくらい。
カラアイのイベントもウェルセクツアーも、やっと5人に戻れたねウッウッ(´;ω;`)っていう共通の感動はあったものの、あの時はまだその感動に浸ってるだけだった。


STAGEツアーで「今やっと本当にひとつになれた」と感じられたのは、5年間を噛みしめるように振り返りながらも、未来への強い意志を感じさせられるコンサートだったからこそのものだと思う。

 


全員の目指す場所が同じで、今からそれをSexyZoneもファンも一緒になってとりにいくんだ!っていう、闘志とか自信とか誇りとか…

et cetera!ヽ(* '♡')ノ

 

うまく説明できないけど、SexyZoneと私たちはこのツアーで同じ喜びと感謝と目標を共有し合い、ありったけの愛情を交換した。
ずっと夢に見てた、本当に見たかった、私の大好きなSexyZoneの姿だった。

 

 


全部について細かく語り尽くしたいところだが、それを始めると完全に終わりが見えないので、絞りに絞り込んで、特に注目したポイントを5つの項目にまとめてみる。

 

 

。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*

 

🌹5 players〜「1人のSTAGEに5人で立ってみた」〜


天才かと!

 

いや、全員で一人のソロをやる演出は実は先輩Gで過去にも体験してるんだ。
でも、5人出てきてみんなでソロ曲をやった、っていう単純な説明では表現しきれない特別感の理由はたぶん、これでもかというほど全員の個性が立ちすぎているメンバーが、それぞれ互いの個性を認め合っていて、その人のステージにみんなで身を投じてみる演出に、グループとしての物凄い可能性と、末恐ろしさを感じずにはいられなかったから。(一文が長い)

 

選曲もどれもこれも大正解。


1 playerなの?2playerなの?もしかして誰かと誰かの組み合わせ?
…などと思わせておいて、まじかー!5人かーー!!って一気にアゲさせてからの、息をつく間も無く始まる5人並びのテレポーテーションは、神懸かりすぎていて賞賛のための語彙力が私にはない。

 

テレポとIGDに共通して言えるのは、歌割りが完璧なこと。
聡マリに当てたパートが、今となってははじめから聡マリのためのパートだったんじゃないかと感じるほどに、文句なしにハマってる。

 

5人でオキテなんて無理なんだろうね…しかも女装なんて、もっとないよね…
という諦めかけの夢を4年越しに叶えてくれたSexy Girlsには、私の全財産お賽銭
さすがにそこまで求めるわけいかない!と、夢さえ見ることなかった生着替え付きだなんて、一生分の給料貢いでも感謝しきれないのに、それもあれもこれもでたったの6800円ですよ奥さん…!!!

 

 

 

🌹緩急の差激しすぎて耳キーンなるわ

 

かわいいzoneにカッコいいzone、大人の魅力zoneにまさかの女装zone、しっとり聴かせるzone、エロのかたまりzone、爽やかzone、エモすぎzone…

 

遊園地のアトラクションにもこんなに種類ないわ!ってくらい、いろんなSexyZoneの顔を、休む間なく次から次に見せくれるセトリと演出構成に息をのむ。


そこらへんは、初めてのソロコンであれだけテーマと構成がきっちり練られた完璧なライブを作り上げた風磨くんの力あってのことだなと、改めて感心したんだけど、何よりSexyZoneがこの5人じゃなきゃ絶対にできないことであって、こんなにいろんな色を出せるようになったんだな〜って、保護者はここでもまた涙。

 

私が一番心を揺さぶられるところは、オキテで大盛り上がりした直後の、カッコよすぎる映像とのギャップな。


女子ドル♡♡♡からの、オス!!!!!


急激すぎる。急転直下型ジェットコースターかよ。

 

ちなみにあの映像、ビジュアル込みでカッコよすぎて無理!ってくらいにカッコよすぎてカッコよすぎるものだから(大事なことなので3回言いました)ついつい映像ばっかり凝視しちゃうんだけど、横アリまで来てからようやく、映像とJrの動きが連動してることに気づいて、新たな発見と感動だった。

 

 

 

🌹5人の個性が爆発!

 

SexyZoneっていうと一般人からすれば、

「あー、あの甘い言葉とか言う子がいるグループでしょ」

「センターの子が美少年だよね」

「ハーフの子がいるよね?」

くらいなもので、これだけでも十分に個性が際立ってることはわかると思うんだけど、深く知れば知るほどに、全員キャラが強烈でハチャメチャにやばい奴らだってことを我々は知ってる。
そんな一人一人の個性と能力を遺憾なく発揮できたステージだった。

 

中でも序盤でツアーのテーマ紹介を兼ねて繰り広げられるマリウスの英語漫談は、トリリンガルのマリウスならではのコーナー。

「more!」って煽られて「yeah!!」ってレスポンスした経験、ジャニオタの皆さんあります!?こんなのSexyZoneのコンサートでしか体験できませんよ??


横アリ2日目から、この漫談の最後にマリウスが魔法をかけて会場にレインボーの光を灯す演出が追加されて、この子は妖精なのか天使なのかしばらく考えたけど、妖精であって天使であって巨人だった。ユニヴァースから光集まってた。

 

 

あとはやっぱりケンティーだなぁ。
他4人はみんなメンステでソロやってるんだけど、ケンティーだけがバクステで始まりメンステまで移動してくの。これもほんと大大大正解。

 

移動するときのケンティーの神々しさを1枚の画像で紹介されたこちらの方のツイートが、そのすべてである。

 

 

勝利くんが国宝芸を繰り広げる真ん中の通路を勝手に「国宝通り」と呼んでいたのですが、(みんな呼んでると思って友達に言ったら二、三回聞き返された)ケンティーがサマハニの間奏でお通りになる時間だけはモーゼの海割りだったし、オタクは中島健人様をお通しするブルーオーシャンだから彼はやっぱり凄い。
凄いしか言えないのが悔しいけど凄い。好き。

 

 

🌹第一章STY、そして幕開け第二章

 

毎回一人涙チョロリしてたところがあって、それが風磨くん渾身の演出「レーザーマリオネット」である。

ソロコンでレーザー使いの神となった風磨くんがこだわり抜いた演出なだけに、リハは欠かさずしっかりがっつり行うらしい。

 

こんなことまで自分たちで一生懸命考えてコンサートで出来るようになったんだね、という思いはもちろんのこと、勝手な感動ポイントが他にもある。

 

こういう一つ一つが全部、5年半見てきたSexyZoneの集大成でありながら、「ここからはじまる」次へのステップでもあるんだなと感じ入っては涙が頬を伝う私であった。

 

ちなみにレーザーマリオネットについては、ここのこだわりが大好きでした。

 

こんな風に、SexyZone第一章の美しき納めと、第二章の壮大な幕開けを同時に感じさせる演出が、共に闇をくぐり抜けて歩んできた粘着系オタクのセンシティブなハートをガッチリ掴んでくるものだから、涙なしには見られない。

 

そういう意味で言うと、挨拶前ラストにwith youを持ってきた(しかも元々の振り付けで全部踊る)ことや、そこからの挨拶➡︎STAGE➡︎アンコールSexyZone➡︎カラアイ➡︎(make my day)➡︎コングラの一連の流れは、まさに原点から現在、そして未来まで全てをぎゅうううっと詰め込んで、一生離れられなくする寸法がニクイぜ…!

 

 

何と言っても強烈にニクイのが、アンコールの始まり。

私ね、どんなツアーになるか予想していく中で、はじまる前からずっと言ってたのがこれだったんですけど、

 

オープニング予想として言ってたけど、あえてアンコールに持ってきたことがまた感動の一因だった気がする。STAGE後でエモみMAXだから尚のこと響くんですもの。(オープニングはあのかっちょいい映像からのRTTがとにかく最高!)

額縁に入ったメンバーの顔の装飾はさすがになかったけど、よく見ると階段の部分が「SZ」に光ってたりして、どこまでもあの頃のSexyZoneを思い出させる仕掛けに愛を感じた。

 

 

そんなわけで初日の名古屋は見事に爆死しまして。お友だちの腕掴んで肩震わせながらおんおん泣いてしまいまして。

 

 

約5年前、かわいい子たちの最初のステージを見届けようと、授業参観気分で観に行った1stコン。

あの光景と、あの時感じた、得体の知れないエネルギーのような何かが湧き上がってくる不思議な感覚と、とんでもない瞬間に立ち会ってしまったという衝撃の記憶のすべてが、走馬灯のように駆け巡った。

 

目の前であの時と同じ衣装を着てさ、(しょぉりが青なのが一番のポイントなんだよぉ…)だけどあの時よりずっと大きく逞しくなっちゃってさ(号泣)

こうして堂々と自分たちのステージに立つ姿と幼かった5人を重ねては、SexyZoneのことも、5年半という時間も、SexyZoneを好きでいられる自分さえも愛おしく感じた。

 


🌹赤い薔薇に誓う

 

歌う準備はできてたんだけど、まさかそこもこっちが歌うの!?ってなって、当初は結構戸惑ったSTAGE(曲)。

「愛してるよ」はSexyZoneに言って欲しいと思ってたし、薔薇持ってるのはそちらなのに、私らが「赤い薔薇に誓う」の!?って焦ってた。

 

でも、毎回の挨拶を聞いて彼らの言葉の一つ一つを受け止めながら、私たちの想いも同じように彼らにきちんと届けたいという気持ちが増していったのね。

 

 

このコンサートは我々が受け手でいてはいけなくて、SexyZoneとファンが感謝を伝え合って互いの愛情を確かめ合うことで初めて「Our Stage」になるんだと確信してから、改めてSTAGEで我々に割り当てられた部分の詞を確認すると、私たちに課せられた重責がすごい。

 

La...la...la... la...la...la...

うたを贈るよ

La...la...la... la...la...la...

胸を張って

La...la...la... la...la...la...

愛してるよ

ありがとう  ただありがとう

赤い薔薇に誓う

その棘が刺さろうとも

歩いてく  あなたと  この“未知”を

 



赤い薔薇に永遠の愛を誓ったのは、私たちの方だった。

5人の想いとファンの想いが一つになって、歌になった。

 

何十年先の未来までついていく⇄何十年先まで絶対に幸せにする

 

約束し合った景色の中に、未来のSexyZoneの姿が見えた気がした。

 

 

。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*。.:*♡*

 

ここまで書きながらどんどんエモくなってきて、新幹線から見える長閑な風景にさえも感動して泣きそうになってる。

新幹線の中で田んぼ見ながら泣いてる気持ち悪い人を見かけたみなさんこんにちは。僕です。

 

ただの変態になりそうなのでそろそろまとめにかかるね!元から変態だよってツッコミは受け付けないことになってるよ!

 

 

オーラスの日。

それは、まるではかったかのようにデビューから2000日目の記念日でもあった。

 

薔薇を持って華々しくはじまったSexyZoneのストーリーを、今度は横アリのファン1万5千人と、会場外で成功を祈る世界中のファンが奇跡の薔薇色に染めた。

誓いの赤い薔薇を会場のファン全員が5人に向けて、5年間で一番力強い「Sexy Rose」に聴き惚れた時間と空間を、私は忘れない。

私はまた、伝説が生まれる瞬間を目撃してしまったようだ。

 

企画してくださったファンの方、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました!

 


今回、毎公演ていねいに想いを言葉にしてくれる5人の挨拶が私は大好きだった。

 

 

聡マリちゃんの挨拶を、5人のコンサートでこうしてゆっくり聞けること自体が、今まで本当になくて。

5人が同じ高さのステージに並んで、一人一人スポットを浴びて、平等に挨拶の時間がある。
他のグループなら当たり前でも、SexyZoneにとっては当たり前ではなかったことを今ようやく実現できたことに喜びを感じ、こちらもその想いを全身で受け止めた。

 

2人で活動していた時期、弱音を吐くことも投げ出すこともなく、いつも笑顔でその壁を乗り越えてきた聡マリがオーラスでやっと泣けたこと。

泣ける場所がSexyZoneであること。

本当に安心した。これからはずっと、一緒だよ。

 

 

 

こんなに先の先までアイドルとしてSexyZoneとしてファンと共にあることをはっきり言葉にしてくれることに感謝しかなかった。

 

どんな状況でも、グループのセンターとして強くあり続けた勝利。「5人にならなかったら辞めるくらいの気持ちでやってきた」という勝利は、いつも5人のSexyZoneを主張し続けてくれたね。ずっと、ありがとうを伝えたかった。

 

3:2の体制に多くを語らず自分にできる最大のSexyを見せてくれてたケンティーから「ずっと心から笑いたいと思ってた。今ここで、心から笑えてる。」という言葉を聞けてホッとした。私たちの大好きなケンティーは、SexyZoneの中島健人だと思った。

 

 

 

風磨くんの言葉はいつも、やりきれない現実から目を背けたくなったとき、私たちに寄り添って一緒に歩こうとしてくれるみたいに優しい。

 

 

器用なのに不器用な風磨くんは、SexyZoneを守るために自ら汚れ役を買って出てきたね。

怒り不満をぶつけられるのはいつだって風磨くんで、負けず嫌いのキミの気持ちを想っては、私も悔しくてたまらなかったよ。

 

デビュー当時あんなに反発してた風磨くんが、SexyZoneで過ごす中でグループを大好きになっていったこと。「グループで頑張る」ことを目標に、1人の人間・菊池風磨として得たものの数々を「グループに還元」しようとひた向きに努力してきたこと。

あなたの努力と強さと優しさを全部知ってるから、あなたにはこれからずっと幸せでいて欲しい。

拳にぎって叩きつけることなんて、もうしなくていい。

 

風磨くんには、大切な仲間がすぐ側にいる。

「SexyZoneになりたい」っていう夢、ちゃんと叶えられてるよ!


 

一緒に頂上からの景色、見ような!!!

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過去も現在も未来も全部抱きしめながら、今新たに時代を創ろうと歩き始めたSexyZoneは、世界中の誰よりも、強く美しい。

あの日見た夢の先に、何が待ってるんだろう。

SexyZoneと歩みながら“未知”を切り拓いていく人生は、間違いなく薔薇色の日々だ。

 

未来は瞳(め)の中に〜櫻井翔 Hip Pop Boogie chapterⅡを聴いて〜

2008年、嵐8枚目のアルバムDream"A"live発売。収録曲「Hip Pop Boogie」は、櫻井翔くんのソロ曲だ。

 

2015年、ARASHI BLAST in Miyagiにて披露されたのは、この曲の詞が少しずつ変えられた「chapter Ⅱ」だった。

さすがchapter仕立て大好き翔さん。その詞の内容は、変化ではなく紛れもなく進化だった。

私はこの歌詞に、今の櫻井翔とこれからの櫻井翔のすべてを見た気がした。同時に、自担である菊池風磨くんに、いつかはこの人を超えるような世界中の誰もが認める最強のアイドルになって欲しい、という想いに駆られ、感じたままに書いてみることにした。

 

 

私、昔から謙虚な人が好きなんです。爪を隠す鷹とでも言うのかな。

だから正直、デビュー当時翔さんが一番苦手だったのは「自信過剰な人」だと思ったのが理由。

慶應生がアイドルになっただけ」って言葉は、幼稚舎から慶應の翔さんにしたら当たり前のことなんだけど、当時の私もまだ子どもだったし、何を偉そうに、くらいに思ってたんだよね。それが櫻井翔のプライドであるとは気づかずに。

 

その時の印象は変わったわけではなくて、むしろ過剰なほどの自信と誇りが櫻井翔アイデンティティであり、櫻井翔こそ、その誇りを持ち続けるべき男だと感じるようになったというか。

元相葉担が語るのもどうかと思うけど、言わせてくれ。この人の人間性を表しているのが、まさにHip Pop Boogieなんだ!

 

 

翔さんって本当に変わらないな、と感じたのが、08年に初めてこの曲を聴いたときの印象。でも、噛み締めれば噛み締めるほどに彼の偉大さに気づかされる珠玉の一曲。

 

終始、自信たっぷりの詞が続く。

World is mine 時代 is mine 未来 is mineとか言っちゃう。

ちなみにこの時翔さん、まだ26歳。26にしてこの世のだいたい手に入れてる。

 

「人の上 下に人作らぬなら 俺がその天の頂いただく」

…諭吉の言葉になぞらえてこんな言葉を歌詞に込められる人も、それを歌っていいのも櫻井しかいない。すげえ。強そう。絶対敵に回したくない。

 

それでいて自分のことを「放蕩息子」だとか「温室の雑草」だとか表現するんですよ。

あくまでも温室育ち。デビューさせてもらって、それなりのいい環境でぬくぬく育ってきた。でも決して温室の薔薇や蘭じゃないの。

可愛がられて栄養いっぱい与えられて育ってきた薔薇や蘭はたぶん他にいて(事務所内の他G)、その下で這い上がってきたのが嵐なわけね。

「道がないなら創ればいい その先たとえ果ててたとしても」と、まさしく雑草魂で開拓してきたんです。

 

そして、それを可能にするためには「嵐」である必要がある。

「今まで これからもこのメンツです」と、スクリーンに他メンバー4人の映像を映し出して紹介する演出は本当に感慨深い。

翔さんが一人のアイドルとして、嵐というグループの一員として未来を切り拓き続けるという意志のあらわれだと思いながら見ていたことを思い出します。

 

 

その頃、嵐はちょうど人気が爆発した頃だった。

 

翔さんにとって、そこに辿り着くまでの道は平坦ではなく、それを乗り越えた上で手にしてきたものの大きさもしっかりと実感している、そんな時期だったんじゃないのかな。

これからもこの景色を見続けるために、ひたすらマイペースに積み重ねていこう、「今まず何ができるか」を模索し続けよう。そんな、自分自身に言い聞かせているかのようなニュアンスを、この曲から感じていた。

 

 

今回宮城でchapter Ⅱを初めて聴き、思わず涙が溢れた部分を取り上げようと思う。

 

元々の歌詞はこれ。

 

 

「道なき道を歩いてく

迎合せずただマイペース

今言える 今ならば言える

蒔いてた種たち咲いてく」

 

 

今まで歩いてきた道は、険しく道なき道だった。これからもきっとそうだろう。俺たちは誰にどう思われようと、マイペースに歩き続ける。ほら、夢が形になりはじめているだろ?

(蒔いてきた種が花を咲かせるようになっただろ?)

 

そう理解していた部分。

7年を経て、嵐はこんなふうに進化する。

 

 

「君たちとなら歩いてく

栄光へとまだマイペース

磨いてる いまだ磨いてる

咲いてる花たち抱いてる」

 

 

本人が込めた意味合いとは違ってるかもしれないけれど、ここの「君たち」は、他のメンバーのことであり、ファンでいてくれる人たちのことでもあるのかな、と感じた。

この後、「こんな景色はみんなのおかげ ここまで連れてきてくれるなんて」っていう歌詞が出てくるんだけど、これもやっぱりメンバーとファン両方を指してるように捉えられるんだよね。

 

こういうところから、今回のchapter Ⅱは、随所に周りの人たちへの感謝が散りばめられていて、翔さんのソロって、俺は負けねえぜ!やってやるぜ!って具合に強気で突っ走る系の詞が多かった中で、ものすごく温かみを感じる部分。

 

「咲いてる花たち抱いてる」も然り。

あの頃は、やっと花を咲かせ出した状況をうたってたけど、今はその咲いた花たち(=手に入れた数々の夢)を一つ一つ大切に守りながら、尚且つ「いまだ磨いてる」ってわけです。

 

なんだろう、この愛と慈しみに満ちた感じ。完璧に悟りを開いた如来か何かか?

 

 

さらに、元の歌詞がこの部分。

 

 

「somebody everybody

今 時代が手の中に」

 

 

時代を手にしてる時点でカッコいいのに、chapter Ⅱではこうなっちゃう。

 

 

「あんなに夢描き

今 未来は瞳(め)の中に」

 

 

これだけ凄いところまで辿り着いて、更に未来が見えてるんですよね、この人には。

この先どうなるのかな、なんて思いもあっていいところでしょ?そういう不安なんて微塵も感じられない、これだけの強烈な先の展望。

そろそろ若くもないし…なんて、誰かに譲ることも決してない。

 

「後追いども皆まず至らず」

「本業の方おいて次向かう」

 

カッコよすぎて涙が………あぁっ

 

これでこそ、かつてのアイドルの概念を自ら打ち破って、今の若いJrたちが目指したくなる、全てを可能にする職業=アイドル を打ち立てた男・櫻井翔だ!!!

と、彼の変わらない部分と更なる進化を遂げた部分とがぎゅーーっと詰め込まれたこの歌詞に心を奪われ、ノリノリのアリーナでひとり放心状態だった私なのでした。

 

 

 

私は嵐を通ってきた風磨担なので、どうしても、櫻井というと風磨!と繋げたくなってしまう性分です。

今回、翔さんのソロを聴いてその詞そのものに感動しながらも、まだ見ぬ自担の未来と重ねて涙が溢れたのもあるかもしれない。

 

「手が届かない憧れの先輩櫻井くん」時代から、しょっちゅうご飯に連れていってもらっては可愛がっていただけるようにまでなった現在までの過程を見てきてるのもあって、ここまで来たならもう、あとは追い抜くのみだと思ってるんだ。

そんな簡単に追い抜けるわけがないからこそ、いつか彼が翔さんと同じ高みに辿り着いて、互いが互いをライバル視しながら磨き合えるような未来を見てみたいと願ってやまない。

 

 

この夏、努力と才能が一気に爆発した風磨くんを私は知ってる。初のソロコンも、初のドリボも、数え切れないほど多くの人々の心に幸せな爪痕を残した。

 

きっと出来ると思う。たとえ笑われても、風磨くんなら「迎合せずただマイペース」に夢を掴みに行ける人だと思う。

もし、この先風磨くんが、見たことのない景色を目の前にすることが出来て、自分の歩んで来た道を懐かしく誇らしく振り返るような未来がきたときには、Hip Pop Boogieが翔さんを表している曲であるように、彼の人生の代名詞となるような曲を思いっきり歌い上げて欲しい。

 

今、私の瞳(め)の中には、そんな未来がしっかりと見えている。

夢の中で僕ら 確かに手を繋いでいたんだ〜風磨くんと、風 is a Doll?に捧げた夏〜

菊池風磨くんの初のソロコンサートへ行ってきました。どうしても今の思いを思うままに残しておきたくて、僭越ながら文章に綴ってみたいと思います。全然知らない人もわかるように割と説明的な書き方しますが悪しからず。


※前半くっそ長い感想垂れ流し、後半重苦しい語り厨なのでこの時点で×ボタン連打をオススメするよ!




1.タイトル「風 is a Doll?」について



うっわー、風磨くんまたやっちゃってるよー こっちが恥ずかしくなるやつぅー!

「風(磨)」と「who」掛けて最高にかっけー!って自負してんだろーなー、相変わらずだなーかわいいなー(←結局そこ)って思いました。最初は。

蓋を開けてみますと、どうやらこのコンサートのテーマは「人形怪盗団」。と言っても分からないと思うので、説明しよう(どんっ)


風磨くんたちは、人間に好きなように操られ、捨てられてしまった人形。「いつか人間になる」ためには人間の心が必要。どうすれば手に入るか?心を盗めばいい。

こうして、風磨くんを筆頭に集まった8人で怪盗団を結成し、恋心を盗むために今宵決起集会が行われる、というもの。


いやー、なんていうか、最初はただもう、おやまぁ風磨くんってばばっちりストーリー仕込んできたわね?気合い入ってるなーかわいいなー(←またそこ)ってくらいだったんだけど、ストーリーが進むごとに、と言うか、参加する回を重ねるごとに(全6公演ちゃっかり入りました)このストーリーの深さというか、「人間臭さ」みたいなものがガンガン感じられて、なんかもう、相変わらずむずがゆ〜い!なのになんでだろう、終わった後で心の奥にほっこりあったかいものを感じる、というか。


風磨くん自身はこんな風に語ってるんですね。


「若者は社会に出る時に苦労する。人形じゃない、人間になるんだ、という若者の気持ちを代弁し、背中を押したかった。」


めっちゃくちゃカッコよくないですか!?

大学3年生。友達は就活に入る時期。そんな等身大の大学生の風磨くんだからこそ考えられたテーマであり、かつ、アイドルの風磨くんだからこそ、それをコンサートとして形にできたのでしょう。

とにかくまあ、一貫性あるテーマのもとに作られたコンサートなわけです。




2.曲構成とストーリー展開の見事なハーモニー



選曲の素晴らしさは誰もが仰ってることと思いますが、ひとつひとつの流れがまた素晴らしい。


(8人の)合言葉は…「Party up!」から始まる時点で掴み完璧。

さあ、人形たちのお祭りが始まるよ!何が起こるんだろう?

ちょっと怪しげな雰囲気と、なんだか強そうなカッコイイお兄ちゃんたちが魅せる歌とダンスのパフォーマンスにグイグイ引き込まれてゆきます。


私が大好きなのは「FaKe」前奏部分のこれ。



後ろから強いライトが当てられたときのシルエットね。もうね、圧巻です。すげー!やべーやつらきた!!っていうゾクゾク感。(だから語彙力)


つづく「D-MOTION」はとにかくカッコいい曲なのに、Dolls(以降、怪盗団のことをこう表現します)の可愛らしさも同時に伝わってくる不思議なお祭り感。踊ろうよ フッフー


ひかりのまち」「Will be all right」では人形バンド登場!!このバンドがまた!かっっっこいいんですよ!!!

圧倒的歌唱力のボーカルに、演奏技術、ボーカルを支える強さと温かさを併せ持った4人。バンド形式は最後にももう1回出てくるんだけど、風磨くんがスタンドマイク1本のパフォーマンスまじで似合いすぎるからあれはずるい。


カッコいいダンスとバンド曲が終わると、ストーリーが進みます。

「恋心を上手に奪うには、相手を本当に好きになること。でもたまに、奪われてしまうこともある。」


そこからの「rouge」!いやーーーーずるい!そして持っていき方がうまい!!私、3年前のサマリーも散々入って散々rougeに泣かされてきましたけど、17歳のrougeと20歳のrougeは、やはり全然別の魅力がありました。


「it's going down」がビシッと決まったあとで、ギャップも激しくコントタイム。緩急ばっちりやで!

なぜ突然のコントかと言うと、人間になりたいDollsちゃんが、人間になったら何をやってみたいかという内容で、メンバー全員が日替わりでネタを披露するんです。


正直、コントやるって聞いたときは、身内でわいわいやるだけだと思ってたんですけど、全面的にプロに監修をお願いしたっていうのが本当推せる。めちゃくちゃ面白い。そのまま芸人になれるわ。


ネタ以外の見どころをあげると、横で見てる風磨くんが崩れ落ちながら大爆笑してるところですね。もうね、目が足りない!

言い出しっぺの風磨は何したいんだよ?

風磨くんのやりたいことは「カラオケ」。そこからのカラオケで盛り上がりそうなジャニーズ曲3連発は、これぞジャニーズのコンサート!

個人的にどうしてもニヤけてしまうのは、「Lucky man」出だしの翔さん部分を完璧に言い回す風磨くんの強火っぷりな。本人すらもやらないのにwwいやぁ〜やりたかったんだろうな〜コレ!ってなりました。


MCはソファで。

下手側3人が狭そうにギュギュッてくっついて座ってるのがまたかわいいんです。
基本的によくしゃべる人は決まってるんだけど、頭の回転の早い安井ふまじゅりがポンポン話題を振って、振られたメンバーも大概みんなネタの宝庫だから、笑いがおさまる時間がないの。ド緊張だった風磨くんにとって、気心知れたメンバーで本当に良かったなって思います。

後半戦。

ここでしっとりと2曲続くんですけど、元歌が脳内でそのまま風磨くんの声になって再生されるくらはまっていました。
櫻井曲は、そこを入れてきたか!!と、結構意外でした。浮かんでは消える愛しい女性を追いかける演出のために、スクリーンとマンションの使い方がとても上手で、風磨くんはしっかり自分のものにしてたんだけど、翔さんの声とハモるところで嵐通ってきたファンは誰もがヒョエーってなったことでしょう。
仁さんの二番煎じではなく見事に安ふまの世界を作り出した「WONDER」も本当に美しかった。オクターブユニゾンになるところなんか特に安井くんの姐さん感出まくりで、思わずクリスタル謙と呼びそうに。

そして!
打って変わって爽やかcuteな新曲Hello
最後振り返って肩すくめてとびっきりかわいいお顔するの反則だよふーちゃーーーーん!!

7人の愉快な仲間たちのステージのあとは、風磨くん甚平で登場です。
この人わかってます。わかりすぎてます、自分のかわいさを。んでまた、似合う?ってわざと聞いてくるんですよね。当たり前だろーが宇宙一かわいいわ!!バカか!!!
客席の方も、やっぱり風磨担の特徴なんでしょうね?感想が基本「かわいい」なんですね。甚平に限らず、風磨くんがすること、ちょっとした表情に逐一「かわいい……♡」って心の声が漏れるんですよ。これに関してちょっと自分の感想乗っけときますね。


普段、自分の中で無理やり消化しようとしてる「かわいい」のすべてを風磨くんに向けられる幸せったらありません!

すみません話が逸れました。

甚平姿の風磨くんに続いて他Dollsも甚平着替えて一人ずつ登場するんだけど、そこでもまた全員がひと笑い入れてくるんですよ。どこまで面白いのこの子たち!
最後の半ちゃんが、超短パンなんだけど、男気があるからこの格好なんだ!(それはちょっと違うぞ半ちゃん)男見せられんのか!?
ってなって「キングオブ男」に繋げる流れも完璧。からの「SUMMARY」!
踊れね〜よぉ〜と言いつつのキレッキレのダンスも、まさかサーフラ!?と見せかけてのエア・サーフラも、面白いわ可愛いわ、いよいよ興奮の頂点で、既に笑い泣きはじめる私。(早い)


「Oh yeah!」をタオルぶん回し曲に使ったのも完璧。なんなの?風磨くん天才なの?天才だね!!!


このあたりで、Dollsは気づくんですね。
「心は奪うものでも与えるものでもなく、生み出すもの。」
そう。音楽を通して人形は、本当の人間になるんです。

ここからTOKIO3曲連続になるんだけど、このあたりまでくると、もうどうにでもなってしまいたい、って気持ちです。たぶん、みんな。心を丸裸にして風磨くんはぶつけてくるし、私たちも丸裸でそれを受け止めてる。そしてそれを繋いでるのが風磨くんの生み出す音楽だという事実が、嬉しくて幸せでたまらないの。

再びTDCに地声を響かせてくれた「ひとりぼっちのハブラシ」。そして風磨バンド再び。
「リリック」はもう後光が差してました。風磨くんが命を込めて歌い上げるんだよ。。最終公演の私はこの時既にボロ泣きです。

「言葉だけじゃ伝わんないから 唄うよ」

そう。言葉じゃ伝えきれないたくさんの思いがマイクを通して歌になって胸にずしーーんって響くんだよ。
それだけでいっぱいなのに、あの子上着脱いで超カッコいい白い腕の筋肉見せつけてきやがるんですよ… もう…「ずるい」って辞書引いたら風磨って出てくるんじゃないの!?

「20」の素晴らしさは言わずもがな。
あの涙と笑顔と愛で満たされてた空間を一生忘れたくないから、溢れる想いは今度はあえて胸の中にしまっておきます。

鳴り止まないアンコール。どこを見渡してもみんなが幸せを噛みしめてる夢のような時間と空間。
「どんな席でも関係ない!みんなでひとつ!」
全員で手を繋ぎあって愛を叫んだ、これ以上ない史上最強で最高の夏の思い出が出来ました。



3.風磨くんは餅のような人


…と言うとそれはもちろんまずその見た目が、という話になるでしょうが、もちもちのほっぺや、まっちろの身体はさることながら、中身もお餅そのものなんですヨ。気づいてました?奥さん!

○どこまでも伸びていく可能性
○どんな具材(相手)とも美味しく絡みあって絶妙なハーモニーを生む
○シンプルに見えてたくさんのエネルギーを持ってる
○主役にも脇役にもなれる
○形を定めず何にでも変化していく
○ねばっこく、いい意味でしつこい(1回沼に落ちたら抜け出せない)

ほら、風磨くんでしょ?
その中でも、ソロコンを通して感じた「可能性」の話をしたいと思います。

私は普段からよく若い子に「大人になるっていうことは、人生における選択肢をひとつずつ捨てていくことなんだ」という話をします。
とても辛辣な言葉だけど、悲しいかな、幼い頃夢見た世界はやっぱり夢の世界で、人は少しずつ自分に見合った現実と向き合っていくことになる。
その選択肢をひとつでも減らしたくないから、私たちは沢山知識を身につけて視野を広げていかなければならないんだけど、そこにはどうしても、ある程度の限界がある。私はもうアイドルにはなれないし、ピアニストにもなれない。

でも私は、20歳の風磨くんがソロコンサートで見せてくれた姿に、無限の可能性を感じたのです。
この子なら、すごいことができる。すごいところまでいける。SexyZoneを、もっとずっと輝かせてくれる。信じてなかったわけじゃない。ここで再確認できたということです。


風磨くんて、中島健人くんのシンメという運命のもとに生まれてきた以上、中島ァと比較されることからはどうしたって逃れられなくて、でもだからこそ自分の魅せ方を追い求めることができるんだとも思っていて。


以前の記事にも記述しましたが、風磨くんは常に中島ァと相対的に自分を位置づけようとして、自分らしさとは何か、自分にしかできないことは何かを模索し続けてきた子だと思うんですね。
若さゆえに強がっていた時期もあるし、自信を持っている歌と持ち前の負けん気で自分を確立しようとしてきたけれど、彼自身、正解は分かっていなかった。

そんな中で3人体制に伴うアレコレを一気に抱えながら人前に出続けなければならないストレスも相当なものだと思います。
たぶん、同じ年頃の子たちの何倍も何十倍もたくさんのことを考えて考えて大人になった風磨くんが、今作り出せる最高の形として全力で表現したのが、あのコンサートだったんだろうなと。
それはきっと、菊池風磨という一人の人間が、そして、SexyZoneの菊池風磨がグループの一員としてこれからすべきことの確認でもあったんだろうな、と思っています。


最近のジャニーズのタレントは、昔と違って先輩に既に憧れる対象がいて、自分から入りたいと願って入所することの方が多く、風磨くんはその典型。
それに加え、育った環境もあって、物心ついた頃からジャニーズの楽曲に親しみ、アイドルとはなんたるかを自らの目で見つめてきた、誰よりも根っこの部分がアイドルなのが菊池風磨だと思います。

そんな風磨くんには、神様は二物も三物も与えるものだから、賢い頭と持って生まれた音楽性がある。そして、自然と仲間が周りに集まってくる、大きくて優しくて温かくて不思議な魅力がある。

こういう風磨くんだから作ることのできたコンサートで、風磨くんのことが大好きなDollsの仲間がいなければ出来なかったコンサートで、風磨くんたちと、それを全力で受け止めた私たちにしか作れないコンサートでした。
他のジャニーズにはもちろん、どんな偉大なアーティストのライブにも絶対に負けない世界を提供してくれた、最高の自担だと胸を張って言いたいです。

あえてグループの曲を外し、菊池風磨としてみせたソロコンサートで、WアンコールにきっちりSexyZoneを持ってくるところはとっても風磨くんだし、「俺の居場所はここだ」というメッセージなんだろうなぁ、と勝手に解釈しながら、楽しかった6公演を思い出して涙ほろりとする残りの夏も、悪くないかもしれない。

きっと風磨くんは、この4日間を通して、自分にとっての正解を見つけているはずです。

記号化されたアイドル・中島健人と、普通を主張する「特別」な存在・菊池風磨〜シンメとしてのふまけんが持つ魅力を考える〜

 

  近頃、「ふまけんクラスタとは格段に少なくなったものだ。
 
デビュー当初の「とりあえず入りはふまけんから」な時代はとうに過ぎたのだろう。
幼く頼りなかった下3人は心も身体も成長し、今やそれぞれが個性豊かなキャラクターを確立、立派にSexyZoneらしさを形作る存在となった。
(あくまでも、ここで言うSexyZoneらしさとは、5人のSexyZoneを前提とした話である。)
 
もはや、一度ふまけんを通ってから箱推しに至る一般的経緯は不要。
ふまけんクラスタがかつてより減少したことに対しては寂しいものがあるが、下3人の成長という観点から見れば、嬉しい理由であろう。
 
 
  ふまけん自体が、他のメンバー同士と比べてそもそも大きく絡む機会が減ったことも理由の一つと思われる。
 
 まだ幼い3人を任されグループの未来を託されたのは、弱冠16,17歳の2人の少年。
Jr時代から人気を誇っていたメンバーで、グループ内では年長者とは言え、デビューの重責は計り知れない。
不安や動揺を誰よりも大きく感じつつ、世間の期待を“2人”が最も強く受け止め、“2人”で誓いを立て、そして“5人で”乗り越えるための先頭に立った。
頼るものが互いの存在しかなかった当時のふまけんは、Jr時代より一層、彼ら自身がふまけんをふまけんたらしめた。その在り方そのものが、ファンの心を掴んだと言って良い。
 
2人の成長過程において、それこそファンの間で氷河期と称される時期、それを乗り越えての蜜月、一言で「ふまけんの歴史」とまとめてしまうには尊すぎる重厚な時間を経ての、今の2人があること。
また、かつてのように2人が先頭に立って引き連れていくグループではなく、均整のとれた5人グループとなり、こうして成長してゆく今のSexyZoneの中で、自分たちの在り方の最良の形を彼らなりに見出したこと。
 
それらが起因して、シンメ厨が喜ぶような絡みが目立たなくなったのではないかと考えられる。
 
 
ここまでは前置きである。
ここからは、前述の現状を理解しつつも、なおふまけんクラスタであり続ける私が何故ふまけんに魅せられるのかを考察していく。
 
 
 
①絶対的シンメの希少性
 
「中島のないところに菊池は立たぬ」(出典:Sexyことわざzone)と言うように(※言わない)、菊池の隣には必ず中島が存在する。
残念ながら、「菊池のないところにも中島は立つ」のが菊池担としては若干悔しいところではあるが…
「健人くんがいてくれるから風磨くんもこうして存在してる!」という感覚は、菊池担共通のものではなかろうか。
 
ふまけんは入所して即シンメになり、所属してきたユニットのあれこれを経て、SexyZoneとしてデビューし今日に至るまで、常にシンメであり続けた。
ふまけんをシンメ以外の言葉で表すことは不可能。彼ら自身がシンメであることに酔っているほど、2人はいつ何時も必ず対を成し、2人の世界を確立している。
中島に比べ表立って相方について語ることの少ない菊池も、一番その魅力を知っているのは彼自身であり、中島を語らせれば彼の右に出る者はまずいないだろう。
 
SexyZoneになってからの菊池は、以前と比べて自らふまけんを全面に出してくることがなくなり、一見するとあの2人は仲が悪いのではないかと疑われることもあるほど、普段からシンメを誇張しなくなった。
しかし、菊池は中島に対していつでも敬意を払い、あいつには俺にできないことができる。すごい奴。と、常に惜しげも無く相方を褒める。
 
「中島を馬鹿にしていいのは俺だけ」「自分が本気で何かしようと思った時、必要なのは中島なんだ」などと本人に向かって言えてしまう。
 
雨降ってふまけん固まる、ではないが、氷河期を超えて新たなステージに立ったふまけんの絆はより一層強いものとなった。
まさに、絶対的シンメである。
実は近年、ふまけんのような関係性にあるシンメは希少な存在になっているように感じる。
 
 
Jr内シンメにあたる2人組はいくらか思い当たる(ここでは、現在固定された2人組をとりあえずシンメと呼ぶことにする。)が、該当担には申し訳ないが、シンメ好きを唸らせるだけの関係性を持った2人はなかなか見ない。
また、現在シンメとして活動している2人も、元は他のJrと組まされていたり、次々に相方をあてがわれていく中でなんとなく一緒にされる時間が長くなったからシンメとして捉えられるようになったりと、ふまけんのように、はじめから今まで一貫して隣にいるのはお互いの存在だけ、という2人組はそういるものではない。
 
さらに、単なるコンビとシンメとでは大きく違い、シンメの深さは「コンビ萌え」のような気軽さでは語り尽くせない。
よって、シンメと言うからにはそれが絶対的であることは本来必要不可欠だと私は考える。
 
 
②に記述するつもりだが、私は長くこちらの世界を見ておきながら、ふまけんと類似するタイプのシンメに堕ちたことがこれまでになかった。
それは私が嵐を基盤としていたからとも言えるが、そもそもシンメ売りに興味を持たなかったからなのかもしれない。その私が、つまり仁亀にはそこまで大きな興味を示さなかった私が、ふまけんの存在と関係性に震えた理由は、次に挙げていく。
 
 
②背中合わせのシンメであること
 
中島と菊池が絶対的シンメであることは前述の通りだが、ここでの大きなポイントは、シンメとしての形だ。
 
 個人的な趣味になってしまうが、私は「子どもの頃からずっと一緒だった」系にめっぽう弱い。
しかし、一緒の「形」に拘りは特になかった。
これは私が国民的アイドル嵐先輩において、頭一つ分飛び抜けて、にのあい好きということをお分かりいただけていればご理解いただけるかと思う。
 
つまり、にのあいとふまけんとでは、同じ1歳差シンメであり、更に入所からデビューまでの期間も似ているなど、共通点は多々あるものの、シンメとしての形は全然違う。
それでも両者とも特別に好きな組み合わせには違いないので、一緒の「形」に拘りはない、というわけだ。
 
にのあいは言ってみれば、手を繋ぎ、肩を組んで同じ歩幅であるいてきた2人である。
転びそうになれば手を握り、転んでしまえばバカだなと笑いながら慰める。道端に咲いたたんぽぽを共に摘み、雨が降れば虹の出現を共に待つ。
 
なんだか詩的になってしまったが、そんな関係性がにのあいだと勝手ながら解釈している。
シンメでありながら、幼友達、仲間という言葉がよく似合う。
(にのあいはコンビだという感覚のファンが最近は多い気がするが、元来にのあいはシンメである。私はあくまでもにのあいはシンメだと主張する。)
 
これと比較すると、ふまけんは決してにのあいと同じシンメの形を成さない。
互いが互いを良きライバルとし、何より互いをシンメとして強く意識している。そして、2人とも極度の負けず嫌いであり、切磋琢磨し合って今の位置を築き上げてきたからこそ、「こいつが隣にいたから頑張れた」という静かで熱い主張が決して鬱陶しいものにはならずに我々の胸を打つ。それがふまけんらしさである。
 
 
シンメとは生涯の伴侶をあてがわれる制度、とはよく言ったものだが、それが将来的にどういう形を成してゆくかは本人たち次第だ。
 
ふまけんの場合、背中合わせのシンメであることを自分たちで選んだ。
それぞれが独自の世界を持っている。しかしそれを互いに認め合っている。手を取り合って進むのではなく、いざというとき拳を突き合わせ意志を確かめ合う関係性。転んだ相方が立ち上がるまで、じっと見守る。道端に咲いたたんぽぽには気づかないふりをしても、本当は2人とも心で美しさを語り合っている。陰と陽の対を成す2人だが、誰よりも互いを尊敬し合っているのがこのタイプのシンメだと考えている。
ふまけんはまさしくその典型だ。歩幅が揃わず行き違うことがあっても、互いに預け合った背中で強く結ばれているのだ。
 
 
③記号化されたアイドルと、普通を主張する「特別」な存在
 
中島健人という男は凄い。
こんなにも真面目にキャラクターを守り、アイドルであり王子様である自分に忠実に生きるジャニーズに、私は初めて出会った。
 
作られ演じられたキャラクターではなく、彼の生まれ持ったアイドル性が、その性格や生き様とあいまって自然発生的に産み出されたものと考えると、もはや彼はアイドルを飛び越えた中島健人」という「確固たる存在」である。
 
一種のブランドと称するべきか、アイコンと表現すべきか。
いずれにしても、近年の中島を見ていると、既にジャニーズの中島健人として記号化され象徴的な存在となったように感じる。
 
とは言え、完璧なアイドル像を具現化した存在でありながら、極めて人間的な部分であったり、「そのへんにいそうな大学生」が持つ、ごく一般的な感覚も共存している点が、中島の凄いところだ。
演じ分けているのでも、オンとオフで切り替わるのでもない。みんなから見えるところに自らのすべてをディスプレイし、これが中島健人だと発信する。
 
 
シンメの片割れがこれだけ注目される存在であれば、誰しも自己の在り方に悩む瞬間はあることだろう。
そういった中で菊池は、あくまでも「普通」であることでアイデンティティを確立しようとした。
 
ー俺は中島のようにはなれないし、なろうとも思わない。俺は俺らしく、俺のやり方でこの仕事を全うする。ー
 
中島がもし、今と違うキャラクターだったら、菊池のやり方も違っていたのかもしれない。
とかく菊池は必ずしも相方・中島健人と相対的に自らを見出そうとした。中島のシンメとして自分を位置づけようとした。
そして、中島とは違う俺らしさを出していきたい、それが素のままの自分=普通であること、だった。
分かる人が分かればいい主義の、菊池らしいやり方だ。しかしそれこそが「特別」であることに、菊池自身はきっとまだ気づいていない。
 
 
菊池にとっての中島が唯一無二の相方であるように、中島にとっての菊池もまた他にかえられない絶対的存在なのである。
中島が世間一般から「確固たる存在」として認められた、記号化されたアイドルならば、菊池は中島が認めている「確固たる存在」なのだ。
中島のようなキラキラアイドルとは違う、あくまでも普通の男子であることを認められたい菊池が見せようとする彼らしさ、これこそ確固たる菊池風磨なのであり、中島からすれば特別な存在に他ならない。
 
 
先程も書いたが、中島も菊池もそれぞれに独自の世界を持っていて、それを互いに認め合っている。
それだけに、2人とも単独でもしっかりと成り立つ。
しかし、2人が一緒になった時のみ放たれる、とんでもなく大きなパワーを持った光の眩さ、美しさ、強さに、我々はいつでも魅了されてしまうのかもしれない。ファンである私からすれば、中島も菊池も、かけがえのない特別な存在なのだ。
 
 
④ビジネスシンメの未来
 
グループ内で象徴的存在となったシンメは、元々仲良しの2人であっても、必然的に表向き仕事向きに自らを発信していくことになるので、単純な仲良しコンビとは違った、対外的な仕事上の付き合い方を学ぶようになる。
 
私はビジネスシンメが嫌いではない。
ふまけんにはもちろん仲良くしていて欲しいとは思うが、かと言ってベタベタして欲しくはないし、付かず離れず、でも時折背中を預け合って頭をもたれかかっているような関係で居続けて欲しいと願う。
 
菊池から持ち出される「ナカジマのこと」は、今くらいがちょうど良いし、ハタチを超えたからと言って、すぐに2人きりで飲みに行かなくて良い。それこそサシ飲みは、機は熟した、といった時に万を時して行っていただきたいものだ。
きっと2人とも、妙に緊張感に溢れていて、でも本当は嬉しくて、上手く言葉にならないけれど、こいつが相方で良かったと再確認するような、そんな時間を過ごすのだろう。
 
その時の2人を想うだけで感慨深く、ただただ尊く、愛おしく、胸が熱くなる。
だからふまけんはやめられない。
だから私は、今なお、ふまけんを愛してやまないのである。